テキトーな人がテキトーにロックを語る
とりあえずゲットしてから考える。
あとからまあ理由もわかる、良くも悪くも。
最近、将来の夢がなくなって新しい夢として映画監督になろうと思いました。
ちょっと前まではロックスターになりたかった。
ロックそもそも論としてロックとは生き方の問題と気づき、生き方+スターでは定職持たない、もしくは兼業、あるいは専業の生業を持つこととなります。
こりゃスター外してロックと馬鹿でかいの全部叶えようというポジティブ・ヴァイブレーションからの発想。
ジャー・ラスタ・ファーライ。
とりあえずロックじゃメシは食えん。
ロックじゃなかったらメシならイケる。
ロールしてたらただのバカ。
そこでキープオンロッキン、これ大事。
ロックでいることを維持するというマインド・コンサルティン。
そうなるとラクです。
大きな物差しが出来たのです、ロックというやつが。
これあると、これはロック!ロックじゃない、わかんないヤツと直感で仕分け出来る。
例としては、この仕事はロックじゃないとか、あの人の言うことたまにロック(パンク)だとか。
考える時間も半分になり、考えることも半分。
やる時間をできる半分に、やる時間を休むことに。
これにより自分自身、義務教育、冠婚葬祭etcを始めとするバビロンシステムの中より、自分と自分時間を取り戻せました。
オープンユアマインド、つまり頭パッパラパー。
本人が良ければそこはザイオン。
周りの意見はマジ悲惨。
長くなりましたが、音楽を媒介としたカルト新興宗教一つとしてのロック、その実態と被害を報告したいとエントリしました。
恥ずかしながら入信期間は人生の半分以上過ぎており、ロックがカルトだと気づいたのはつい先日までのことです。
未だにマインドコントロール化状態、不自由さ故にロックの良さが分かるという架空の獲得体験という見えない被害も残ってます。
未だロックは自由という信仰者に向け、自由なカタチで架空の体験を煽り、若者を中心に布教活動を現在も行なっております。
場合によっては経験やテクニック不問、集団及び単独での単なる騒音をパンクと称し、下手すりゃ楽器や音楽してなくてもロックスターになれるいう音楽という定義さえ破綻させました。
※例 シド・ヴィシャス
お気楽とは見えるこのロックスター、職種として未だにホワイト企業と言えるような人物も集団もないままであります。
大成功と言えるような例でも27歳で殉教しており、生きても売れてもロックかと問われ続けて生存確認不明、死後に再評価されスターへという本人がいないところで勝手に祭り上げられております。
第三者目線でもロックという実態がカルト以外の何者でもないようなものでした、ハマったら終わりです。
アシッドフォークなんか曲がった盤面状態といい、謎の高価格はなんかカルトっぽくて好きだった。
内容はどうでもいいのばっかだったけど。
下記メモ
自由=わかんない
箸にも棒にもかからないのは負けるためにして自分からそうなるというまさにロックンロール・スーサイド。