アメリカが退廃した影で起きたバイク文化
説明すると長くなるだろうし、1%しかいないと言われてるアウトロー・バイカーの話なんて誰も興味ないだろう。
- 作者: ハンター・S・トンプソン,石丸元章
- 出版社/メーカー: リトル・モア
- 発売日: 2011/03/05
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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この本読めば大体のアメリカがひた隠しにした退廃のおかげで生まれた、負けるために生まれてきたドロップアウター兼アウトローの暮らしぶりが掴める。
また彼らが選べる生き方に不自由しかない。
頭もなければ金もない、そして仕事もない、そんな状況で生きていく上での一種の救い、自分の価値観を得たり、孤立した中で仲間を見つけ、法やしがらみから抜け出して自分らだけが納得するルールを作る。
これってほぼ宗教に近いなと読んで思いました。
困ったら神頼りというかモータサイクル自体が本尊です。
そして彼らが乗ったものは一人一人全く違うカスタマイズをしていた。
つまり本尊をみんな改造しちゃってカッコ良ければあいんじゃん?って宗教の教義としても面白いです。
まあこの国でもいろんなバイク乗りはいますし、分かり合えない人もたくさんいました。
レーサーレプリカ、SS系の人とは相性悪いというか向こうのスピード感覚からなんでしょうけど、住む世界が違うので仕方ないと思ってます。
下手すりゃヘルメットで差別意識ありますし。
個人的にはノーヘルでもいいかと思ってます、あくまでも自己責任で。
まあ普段は半ヘル、たまにジェット。
フルフェイスがいいんだろうけど、ぼくからしたら視界が狭く感じて逆に怖いです。
そもそもバイクだから事故ったときはほぼ結局、運任せです。
さては題名のとおり、ハーレーについてですが、購入に至るまでだいぶかかっている故、冷静過ぎてそもそもハーレーじゃなくて良いやってとこまで来てます。
結局、見栄とかそんなレベルで欲しいというか信号待ちで隣のバイクがホンモノだと羨ましいですもん。
純粋にかっこいいなって。
あとは自分自身、バイクいじりの趣味がもうなくなったかもと薄々気づいてます。
ノーマルでカッコ良いのに越したことはないです。
単純に弄るのに金と時間かかるからです。
それにいじるなら自分のことだからフルカスタムしてようやく満足する方なので、そうなったらハーレーじゃない方が面白いです。
そうなるとSRになるんだよなぁ。
ノーマルの野暮ったさギリギリの素晴らしいフォルムも今では良いと思うし、ずっと変わらない単気筒、キックのみという作りもこのバイクだけ。
時代遅れのスペックからして性能追求の乗り方するなら選択肢から外れますし、見た目をいじるならパーツの豊富さと流用と1番自由じゃないかかしら。
カフェレーサー、アーリーチョップアメリカンとどっちにもいける。
あとこっからざっくりになりますが、チョッパーアメリカンからカフェレーサーにしても海外発祥の単なる暴走族です。
また日本にも暴走族いますし、カスタムスタイルも確立されてます。
たまに3段シートにロケットカウルと出くわしたらほんと気分アガりますし、小さい集団だと尚更、応援してます。
ちなみに昔、筆者はバイク買ったし、せっかくだからバイカーグループに入ってみたいという気持ちもあり、チャンスもあったのですが、ぼくの協調性の無さ過ぎ、それによるグループへ貢献の可能性が低いからごめんねってことで流れてしまいました。
こうやってバイクのこと書くだけで自分の至らなさに気づいたのですが、相変わらず改善しておりません。
うーん、そもそもなんの話だったっけ?
とりあえずスクーター125ccで充分過ぎてます。
二人乗り出来るし、維持費も安いし。
そんでもってバイク乗ってる感も季節によっては味わえます。
そしてなんの縁だか知らないけどまたヤマハです。
文句あるとしたら扱いが楽過ぎです。
こんなクソ暑い日にでかいバイクあったら地獄です。