考えない葦

日々のメモ

魂の置き場所

最近ふと悩んだことの一つとして、魂の置き場所とは一体どこなのだろうかってこと。

 

墓というわかりやすい最終地点でさえマネーで維持しないと危うい時代。

 

てかもう魂という概念はクラウド化されていると勘違いし始めている。

 

そもそも、道端よくわかんない謎の祠?的なものや石とか、見た目がアナログな大き目の端末でそこに賽銭という維持のための課金システムを導入している。

 

個人的にはこれはとても素晴らしいというか先進的かつ、誰にでも開かれた場所であったりするので目印だったり、単純に有難い気持ちになる。

 

何を言いたいかよくわかんないけど、そのうち一般市民レベルの人ならブログやSNS等というクラウドに人生の出来事、人柄などほぼある程度は置いてける容量くらいしかないからそんなんでいいんじゃないかと思った。

 

姿形ももともとなかった自分達がまた同じ状態へ戻る時に、資源や土地とか限りあるモノをその代わりに使ったりするのはなんか違和感がある。

 

結局、何が一番残るって思い出という曖昧かつ各自が持つ想像の産物でしかない。

 

出会いと別れはコインの裏表というか、そのコインをどこかにベットしていく積み重ねなのかなぁなんて。

 

例えば、それこそ道を聞かれて人を目的地まで案内するとかそんなレベルも出会いと別れと変わんないし、結果に当たり外れなんて関係ないし、損得感情もない。

 

あるとしたら目的地についてよかった、案内出来たというお互いハッピーな気分を共有出来たってこととかだったり。

 

何が言いたいのかわかんなくなったのでここで終わります。

 

 

たましいの場所 (ちくま文庫)

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