考えない葦

日々のメモ

アルジャーノンと花束

チャーリーは社会の隅っこで社会不適合者らしく暮らしていた。

珍しくその日は花束を抱えており、雑踏の中でアルジャーノンと出会う。

行き場のないアルと花束を写真に撮ってみると一枚では足らないと思いつき、もっと長編で撮ろうという気持ちが生まれた。

 

その日は一度、帰ることにしたがチャーリーの部屋では狭過ぎて花束を飾るだけでも精一杯だし、ましてやアルともなると足らない。

 

アルも住める家さえ見つけらればと思ったところ、ちょうどいい家が見つかる。

チャーリーは即座にその家を借りる事を決めてその日の夜にはアルは花束に抱えられ愛と自由を約束された身となり幸せそうであった。

 

チャーリーはその姿を見て、幸せというものを初めて知る。

そしてそれを家族と呼ぶのだと少しばかり理解をし始めた。

 

思い返せばチャーリーには無縁の生活であり、必要のない生き方であったからわからなくても仕方ない事で少しずつ理解していこうと思った。

 

たとえわからなくても、アルと花束が一緒にいて幸せであれば、それが幸せということだけは理解出来ていた。

 

そしてハッピーエンドな結末であることも約束され、信じている。

 

幻影を追いかけて

今週のお題「私のアイドル」

 

今の年齢の半分くらいに自分のアイドルと言えるような人たちを雑誌で知ってそれを狂ったようにターンテーブルにレコードを回して同じように時計の針も動いていった。

 

人は夢を見る生き物。

夢から醒めずに夢を見続けていたら気づいた時には現実となっていた。

 

まるで白亜紀の恐竜が目の前で地球のへその楽屋の円卓を囲んで笑いの絶えない話の中に自分もいた。

 

ただ良い夢ばかりでもなく、悲しい夢も希望見るだろう。

 

ぼくはずっと事あるごとに付いて回っていた。

そしていつでも笑って連れ回してくれた。

お互い帰れない時もあったりと笑

 

でもついていけない所に行くこともあるってのは突然やってくる。

 

夜中、急に泣きながら起きるとさっきまで彼らと一緒にいた事ともう会えないという現実を突きつけられる。

 

あの歌もギターも聴けなくて馬鹿げた話もトイレに閉じこもる事ももうないのだ。

 

ただ血や精神として受け継いだ事は計り知れない。

 

そしてぼくの魂の中では永遠に生き続けるだろう。

 

二人ともそっくりだった。

向こうに行ってロケハンしてコソコソしてるぼくを見つけたらカツアゲしてください。

 

勘が良いからすぐ見つけられちゃうんだろうな。

エーテル

終わりない夢の話だった

 

魔法の石板をなぞれば見知らぬ所にエーテルがちょろちょろと湧き出ていると知る。

砂漠のど真ん中で喉を枯らしきって幻覚のオアシスに群がる姿は葬列さながらとしか思えない。

 

やっぱ水として口にするまでは信じられないんだなぁと思って起きたところです。

 

しかし貧困っていうのは良くない。

まず心が貧しいってか卑しいのは変えられないんですね。

 

さてライフハックしてきたいと思います。

障害と病気は甘えと逃げ

とりあえず休みという1日目をとりました

 

自分の為だけに時間を使うということは本当に贅沢であり、伴侶には心苦しいのです

 

人は一人では生きていけないと体でまた覚えました

 

コミュ症炸裂してたりは日々の自分の情けなさと改善の遅さが目につきます。

 

アスペルガーというようなモノに当てはまるようでして、幸い仕事にはありつけてます。

 

ただ人に自分の仕事内容の説明が出来ないんです。

 

言葉で表現というか相手に伝わるようなイメージしやすいニュアンスの仕方がわからない。

 

そうなると半分しか仕事していないもので、結果的には半人前のカタワです。

 

ただある種の文字情報と数値などの機械的というか数学の公式の定理を用いる形式が決まっている解答には間違うことはなく、手順を確認する為、ミスはないです。

 

絶対的シンボルというか数字、記号、繰り返しや決まり事のコピー、デジタル的ものは解るまで全く苦痛ではないというか解けないほうが辛いです。

 

また感情が入らないから出来るというか、普遍性こそ唯一無二、伝統というかルーツ的な王道を知らないと発展出来ないと思ってます。

 

また本物に触ってしまうの禁断の果実でした。

 

はてさてアスペ全開な文。

 

でもそれ以外にやれる事探そう思ってます。

 

幸せなキャンディが青い鳥を飛び立って喜ぶって続きがあるんだってルーリード

に言ってやりたいです。

 

まだまだワイルドサイドの途中だけどね。

 

 

思想とかどうでもいい

ネトウヨ、パヨクとお互い不毛なやりとりのネット社会。

 

学もなきゃれば知性なきわたくしでさえアホの集団だと思っている。

 

なんか左翼的であるスタンスに見えるようですが、野村秋介一水会鈴木邦男の流れを組むほどの極右に近い側におります。

 

軽くWikiでも載せておきます。

https://ja.wikipedia.org/wiki/一水会_(思想団体)

 

このスタンスって現体制では左翼に近いようなレベルです。

 

戦後の復興のどさくさで日本がめちゃくちゃだった時から生まれた愚連隊という一種の極道の流れから発生した団体でもあります。

 

自分の国を愛して何が悪いというのが前提で自国を良くするのに右も左もないんですから。

 

国旗も国歌も明治維新の時に無理矢理なんとか整えたようなもんで元々、この狭い島国で内乱だらけの歴史です。

 

そんな国が維新後いきなり一丸となるわけない。

 

結局、外国からの圧力に屈した自覚がない。

 

それでこの国がおかしいだなんて当たり前ですから。

 

場当たり的な外交というフリをした白人共の植民地搾取を資本主義と言い換えたのが事実です。

 

結局、サムライと言ってもカネと見栄には勝てなかった。

 

それだけのことです。

 

内閣の家系図見たらモロバレの薩長生まれの売国奴としか言えない詐欺師の家族経営です。

 

坂本龍馬なんぞ国賊に等しいし、バックには海外資本の援助を受けてるわけで一介の武士がなりあがるなんて幻想です。

 

そん中でマナーでもなく、国をどうにか面白くしてやろうというってだけに全てをかけたのが高杉晋作です。

 

奴はアナーキストかつテロリストで混沌のみを目指していた。

 

外国相手におちょくってそれが国益になるような動きをしていた結果になってたりと非常に好人物だと思ってます。

 

彼にはカネや地位、見栄など全く魅力的でなかった、ただ純粋に国家転覆をねらうというバカげた美学の塊だったんだろうなぁの調べて学べました。

 

おもしろき こともなき世に おもしろく

 

これを辞世の句として残すなんて偉大なる白痴の夢想家で本来の意味での愛国者であったかなぁと会津生まれのぼくは思うのです。

 

そう考えると自分なんてちっぽけです。

 

ぼくはぼくなりに戦わず負け、他人に無血、そして己は無残に死んで生きたいと思ってます。

 

生まれた時代が悪かったと言えばそこまでですが、そんな酔狂さもこの世は許してくれないほど寛容ではなくなってくのかとアメリカ生まれのiPhoneで打ち込んでる無様な夜明けです。

 

 

 

さらば群青―回想は逆光の中にあり

さらば群青―回想は逆光の中にあり

 

 


 

Boys, be Vicious

今週のお題「芸術の秋」

 

この芸術って概念が非常に嫌いというか受け付けないです。

 

髪の色だとか服装だとギャーギャー騒ぎ立てるのがもうナンセンス。

 

個性って見た目だけの問題じゃないし、みんな違って当たり前っていうここ最近のニュースを見てのアンチテーゼです。

 

ネットじゃなくてリアルで言えんの?って

 

ぼくは怖い人にも普通の人にも言いませんし、そもそも興味がないっていうか普段忘れて生きてるような盆暗です

 

さてここから先は登場人物や人称をフィクションとして書かせてもらいます。

 

学校教育で絵でなんだかすごい賞を取る事が一度あった気もしないでもないけど、その後は賞を取るまで描くなんて事をやらさせてる時点でもうオカシイと気づく嫌なガキだったわけなんす。

 

その背景に描くべきテーマを何度も大人のバイアスかけてくるので正解ありきの答えを書いてしまえば楽だというズルを知るわけでして、正解なき答えでハートにクるモノを作るのがアートなわけだとなんとなくわかっていた。

 

そうなるとダルい、ただただダルい。

 

期待とかかけられてもめんどくせえし、そもそもアート語れるような人物が先生でなかった。

※紫色は私は嫌いだから紫塗った絵はダメとかそんなん

 

ガキのぼくでさえ、あっ、こいつバカだわって気づけますから巧妙になってゆく。

 

その後、書道、硬筆ともに段持ってますが、小筆で先人の良い文字を塗って再現しだしたり、硬筆に至ってはトレーシングペーパーのように見本を下に引いて書いてたくらいで結果、割とトントン拍子で段持ちです。

 

もうザルなんすよね、システムといい芸術の在り方なんて嘘っぱちだと。

 

ちなみに今でも字は破滅的に汚いです。

自分で書いたやつが読めないとかザラです笑

 

そしてスマホ、PCとプリンターありゃ良いわけですし、絶対的に読みやすく真面目ぶった明朝体フォント使えばなんてこともない。

 

あとは見た目の問題ですね、服装とか。

 

そんなんは義務教育以降、入るまでは大人しくして入ってから勝手気ままにやっちまえばいいやと。

 

ただ義務教育中は大人しくしとくべきです、ヤンキーや怖い人、普通ヤツ、猟奇的なやつと全部まとめて放り込まれる動物園ですから。

 

数人に金属バットで滅多打ちにされたりとかマジきついっすもん。

 

義務教育以降は余程の学校でない限り退学や停学もなければ守んなくていいし、思い立ったら吉日の如くに真っ赤に染めたり、半分金髪半分黒とか全くアウトで敢えて頭髪検査の日に行って先生にブン殴られるのを待つだけ。

 

殴られたらこっちのもんです。

一対一の密室に連れてって貰えたら最高のチャンス。

 

教育委員会にチクるぞ等の形成逆転させられる落ち度や突かれたら痛い部分をバチっとキメて主従関係を作る行為をすれば何も言われなくなりました。

 

あと非行らしい非行はしないこと、特に肉体的暴力はダメなのが重要、退学になる。

 

大体、先生と呼ばれる人間のほとんどが学校という社会でしか生きてないのでイレギュラーに対して防衛本能ゼロです。

 

それに大抵、失敗しないレールで生きてますから失敗したヤツの気持ちなんてわかるわけないんですから。

 

まあ何を持って失敗かどうかなんて死ぬまでわからん問題です。

 

歳をとってきたのか最近、若い子の相談?にのることもちょっぴりありますが、みんな真面目というか大人に期待し過ぎです。

 

別に真面目じゃなくていいんだよってムカついたら怒鳴りちらして殴ってもいいんだよって。

 

そん時、ちゃんとおかしいところを叱ってくれる諭してくれる人こそ師だと思います、たまにしかいないけど。

 

家族のせいとか社会のせいとか時代とか関係ないっすから。

 

うちは幸せな家庭ではなくて暴力だけ廃退した家族でしたし、母親はパトロン沢山、父親は本物でなくて保険金目当てのスケープゴート、息子は精子バンク的なところからサラブレッドを作る気満々で育てようとしたキチガイ一家ですし。

 

下手すりゃ猟奇的事件起こしてもいいくらいの子が育つべき土壌があったと言えます。

 

でも振り返ればそれで非行もせず、日々淡々とさっさと他人以下の存在として、親に見切りつけていたってのもある種、猟奇的ではあるかなぁと思っているところです。

 

どうせこいつら自分より早く死ぬだろうし、ろくな死に方しないし、それも見るきもないって死生観もどっかで狂ってますから。

 

だからこそ友達ん家に行ったり、聞いたりして幸せな家庭があることに羨ましいというより心が温かくなるというかシンプルに嬉しいのです。

 

ぼくが家族を持つ時が来るならそういう理想としてありたいし、なにより愛が大事なんだなって。

 

愛なんか受けたこともしたこともわかんねーことばかりの無知がですね、サイコーにお前ほど良い女はいないぜ!ってアスペ特有の言い回しの下手くそさで嫁に伝えても全然伝わんない。

 

それについては迷惑かけて申し訳ないけど、許してちょ!てへぺろなんですが、やっぱ炊飯器で殴らるわけも分かるんです、すまぬ。

 

そして過去の自分がそんなにヘヴィじゃなかったって正直に言えます。

 

自分で言うのもアレだけどバケツの穴が空いたように底抜けに明るいというか、楽観的というかバカなんですが、全部笑い話に転換できるほど何にも気にしてない。

 

逆に気にしなさ過ぎて過去のそういう心配されても自分からしたら今楽しいから今話す話題か?って置いてけぼりくらいますし笑

 

あくまでもイレギュラーな人間になってしまった部分は否めないですし、そりゃ死にたくなる瞬間も多々あり、その時独りぼっちだった恐怖も知り尽くしてはいますけど結果、死ななかった。

 

死にたくなったら誰でもいいから友なり誰なら連絡するなり頼っていいんだし、そうやって幸せ探しの生きてくツールとしてインターネットを活用した方が良い未来ありそうです。

 

そもそもネットっての軍事目的で開発されましたからピースに使うことが一番、体制が嫌がることです笑

 

※ちなみにこれでいてぼくは野村秋介を崇拝しているような極右思考であります

 

そしてガキのうちにある程度の悪さはしとくべきかなぁと若い世代を肯定したいですし、精々高いメロン持って謝って済むレベルの悪さでストップかけれる知能はあると信じてます。

 

芸術とかアートから随分とズレた話になりましたが、愛を受けられなかったからこそ、愛とはなんだろうって物心ついた後に学べられるのはとても幸せです。

 

悲しみのない世界になるよう祈るように笑いたい。

 

鵺院

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хорошо(ハラショー)

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