偉大なるロマンチスト
今週のお題「カバンの中身」
持ってかなきゃいけないものが増えると自然と持つのがカバンというか入れ物。
人間の中身も違うからカバンの中身もそりゃ違う。
そんな自分は中々のカバンジプシー。
最近はチャムスのバナナバックを仕事用と偽り買いました。
こんなやつ。
[チャムス] ショルダー Mini Banana Shoulder CH60-0735-Z084-00 Z084 Booby/Charcoal
- 出版社/メーカー: CHUMS
- メディア: ウェア&シューズ
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お金がありゃショットのバナナバックが欲しいけど高いし、失くすとへこむからいらない。
ロックンロール・ハイスクールの心理学では中身がダメだから外だけよく見せたいというグラムロックの深層心理的欲求、いわば虚仮威しのチープトリックであり、またワンコード・ワンリフのボランブキー症候群ゆえにシンプルに物を失くすと学んだ。
そしてカバンごと失くすパターンもあり、そもそも自分自体を失くしたりと、筆者も現時点でシャグポーチを忘れ物センター的なとこに預かってもらっている。
忘れん坊とは感染るものでして色濃く影響を受けた。
でも絶対忘れないものは五感や記憶というか思い出くらい。
それも自分の腕で抱えられるよりもずっと少ないから困ったもの。
でも持っていっちゃいけない大事な宝物は置いていかなきゃいけない時もあるから生まれた時のように手ぶらで行くのだろう。
思い立ったらバックれ 仕事遍
仕事を辞めようって思ってから行動に移すまでに普通は色々考えるだろう。
主に今後の生活とか、職場の状況とか面倒くさい系。
筆者は働くにつれて良くも悪くも仕事を辞めることに抵抗感がなくなった。
履歴書の仕事欄とか一年で埋まるくらい辞めている。
責任感やらモラルがないと言われたらそこまでだが、そんな事言ってきた人がこちらの生活をフォローしてくれるわけでもなく、無責任なアドバイスである。
だって仕事を辞める自由も労働者の権利だもん。
自分が居なかったら職場に迷惑がかかるから辞めれないって言うけど、経営者でもないんだから会社がどうなろうか知ったこっちゃないし、1人いないだけで破綻する企業ならそれこそヤバい。
そもそも自分が入るまではいなくても会社はやってこれてるし、そこまで優秀な人材ならば引く手数多なわけですから、文句ある会社なら辞めて他に行くあてもあるはず。
やり甲斐とかもあるだろうけど、結局はお金欲しいから働くわけですし。
めっちゃ金持ちなら働かなくてもお金を使うこと自体が経済活動になるので、まあ庶民にはほど遠い世界。
そのほど遠い人がこの国の重要なポストに就いてるわけですが、仕事の辞め方がヒドい。
一般的にいうバックれるってやつ。
出来ないから辞めるってシンプル過ぎてビビった。
そもそも論としてそんな奴雇うなと。
そしてそいつ辞めてもなんとかなってるこの国の異常さ。
あいつら税金で飯食ってんのに国民バカしてんだろうなってところ見えてます。
つーか、首相なんて前回は腹痛で辞めてるし。
腹痛ってバイトでも休んだり、辞めたりする理由として非常に弱い。
体調管理も仕事のうちですよっていう指摘喰らいます。
何が言いたいかわかんなくなったけど、まあトップがそんなノリなんですし、みんな頑張らなくて良いと思う。
働く為に生まれてきたんじゃないもの。
みつお。
シャグポーチを新調しました
無くても大丈夫なんだろうけど、シャグポーチがあると便利。
自分の場合はシャグ、ペーパー、フィルター、ローラーがあった方が美味しく吸えるため、シャグポーチは必需品。
と言っても買うほどではなく、オマケで付いてきたものばかりです。
※以前、購入したが落としてしまった
しかし、なかなか良いサイズがなくて困っていたが、アメスピのオマケが優秀過ぎて愛用しております。
よくあるポーチならローラーが入らないが、これはバッチリ入る。
これ自分には重要です。
ハンドロールでも良いんですが、やはりローラーで巻いたやつは市販品のような安定した味を簡単に作れます。
手巻きタバコだからと言って無理にハンドロールする必要もないですし、ローラーさえあれば初めて手巻きする人にも敷居が低くなると思いますし。
不安なことはこのシャグポーチのストックしてるやつがなくなったらどうしようかなぁと思ってます。
レザーで作るしかないのかなって覚悟をある程度決めており、前に作った財布よりかは工程的にもマシなんでしょうけど、やる気が起きない、、、
自我の芽生え=初期衝動
今週のお題「私の『夏うた』」
そりゃ沢山ありますよ。
ありすぎて夏縛りだけで一晩は余裕でDJ出来ますが、そんなの超迷惑です。
そんな体験のおかげで一時はドラムンベース恐怖症になり、未だに覚えてます。
こういうのは家でやってくんねーかなってマジでって言いたくてもフロアに誰もいない。
終電なんてとっくにない、そして箱変えるにも動きたくない。
しかし、これがどっかの国のローカルスポットでのパーティなら無い事があるってのも理解出来るけど、ここはトーキョー、田舎育ち、悪そうなヤツって一体ダレ?って話です。
ともかくナイトメアながらもWi-Fiはある、充電器もゲット、DJいるからヘッドホンは選び放題。
外からの情報を遮断という選択をとり自己解決。
その時はデジャブかなって思ったけど、昔に似た体験してたことに今日気づきました。
これ子供の頃に大分してました。
まあ割とうちは変な家庭環境ということもあり、なんでか知らんけど娯楽はラジオのみオッケー、但しNHKのみという謎の縛り。
今思えば思春期って面倒だから教育方針としてやったんだろうなぁと。
しかし残念ながら子供ってのはそんなの全然平気で気づかないもんです。
そしてNHKの選曲は公共放送なので定番なやつばかり。
そりゃロックも流れる。
まあ結果、こんな有り様です。
たしか今みたいに八月の匂いがする時期だったな。
アメリカが退廃した影で起きたバイク文化
説明すると長くなるだろうし、1%しかいないと言われてるアウトロー・バイカーの話なんて誰も興味ないだろう。
- 作者: ハンター・S・トンプソン,石丸元章
- 出版社/メーカー: リトル・モア
- 発売日: 2011/03/05
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
- クリック: 12回
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この本読めば大体のアメリカがひた隠しにした退廃のおかげで生まれた、負けるために生まれてきたドロップアウター兼アウトローの暮らしぶりが掴める。
また彼らが選べる生き方に不自由しかない。
頭もなければ金もない、そして仕事もない、そんな状況で生きていく上での一種の救い、自分の価値観を得たり、孤立した中で仲間を見つけ、法やしがらみから抜け出して自分らだけが納得するルールを作る。
これってほぼ宗教に近いなと読んで思いました。
困ったら神頼りというかモータサイクル自体が本尊です。
そして彼らが乗ったものは一人一人全く違うカスタマイズをしていた。
つまり本尊をみんな改造しちゃってカッコ良ければあいんじゃん?って宗教の教義としても面白いです。
まあこの国でもいろんなバイク乗りはいますし、分かり合えない人もたくさんいました。
レーサーレプリカ、SS系の人とは相性悪いというか向こうのスピード感覚からなんでしょうけど、住む世界が違うので仕方ないと思ってます。
下手すりゃヘルメットで差別意識ありますし。
個人的にはノーヘルでもいいかと思ってます、あくまでも自己責任で。
まあ普段は半ヘル、たまにジェット。
フルフェイスがいいんだろうけど、ぼくからしたら視界が狭く感じて逆に怖いです。
そもそもバイクだから事故ったときはほぼ結局、運任せです。
さては題名のとおり、ハーレーについてですが、購入に至るまでだいぶかかっている故、冷静過ぎてそもそもハーレーじゃなくて良いやってとこまで来てます。
結局、見栄とかそんなレベルで欲しいというか信号待ちで隣のバイクがホンモノだと羨ましいですもん。
純粋にかっこいいなって。
あとは自分自身、バイクいじりの趣味がもうなくなったかもと薄々気づいてます。
ノーマルでカッコ良いのに越したことはないです。
単純に弄るのに金と時間かかるからです。
それにいじるなら自分のことだからフルカスタムしてようやく満足する方なので、そうなったらハーレーじゃない方が面白いです。
そうなるとSRになるんだよなぁ。
ノーマルの野暮ったさギリギリの素晴らしいフォルムも今では良いと思うし、ずっと変わらない単気筒、キックのみという作りもこのバイクだけ。
時代遅れのスペックからして性能追求の乗り方するなら選択肢から外れますし、見た目をいじるならパーツの豊富さと流用と1番自由じゃないかかしら。
カフェレーサー、アーリーチョップアメリカンとどっちにもいける。
あとこっからざっくりになりますが、チョッパーアメリカンからカフェレーサーにしても海外発祥の単なる暴走族です。
また日本にも暴走族いますし、カスタムスタイルも確立されてます。
たまに3段シートにロケットカウルと出くわしたらほんと気分アガりますし、小さい集団だと尚更、応援してます。
ちなみに昔、筆者はバイク買ったし、せっかくだからバイカーグループに入ってみたいという気持ちもあり、チャンスもあったのですが、ぼくの協調性の無さ過ぎ、それによるグループへ貢献の可能性が低いからごめんねってことで流れてしまいました。
こうやってバイクのこと書くだけで自分の至らなさに気づいたのですが、相変わらず改善しておりません。
うーん、そもそもなんの話だったっけ?
とりあえずスクーター125ccで充分過ぎてます。
二人乗り出来るし、維持費も安いし。
そんでもってバイク乗ってる感も季節によっては味わえます。
そしてなんの縁だか知らないけどまたヤマハです。
文句あるとしたら扱いが楽過ぎです。
こんなクソ暑い日にでかいバイクあったら地獄です。
魂の置き場所
最近ふと悩んだことの一つとして、魂の置き場所とは一体どこなのだろうかってこと。
墓というわかりやすい最終地点でさえマネーで維持しないと危うい時代。
てかもう魂という概念はクラウド化されていると勘違いし始めている。
そもそも、道端よくわかんない謎の祠?的なものや石とか、見た目がアナログな大き目の端末でそこに賽銭という維持のための課金システムを導入している。
個人的にはこれはとても素晴らしいというか先進的かつ、誰にでも開かれた場所であったりするので目印だったり、単純に有難い気持ちになる。
何を言いたいかよくわかんないけど、そのうち一般市民レベルの人ならブログやSNS等というクラウドに人生の出来事、人柄などほぼある程度は置いてける容量くらいしかないからそんなんでいいんじゃないかと思った。
姿形ももともとなかった自分達がまた同じ状態へ戻る時に、資源や土地とか限りあるモノをその代わりに使ったりするのはなんか違和感がある。
結局、何が一番残るって思い出という曖昧かつ各自が持つ想像の産物でしかない。
出会いと別れはコインの裏表というか、そのコインをどこかにベットしていく積み重ねなのかなぁなんて。
例えば、それこそ道を聞かれて人を目的地まで案内するとかそんなレベルも出会いと別れと変わんないし、結果に当たり外れなんて関係ないし、損得感情もない。
あるとしたら目的地についてよかった、案内出来たというお互いハッピーな気分を共有出来たってこととかだったり。
何が言いたいのかわかんなくなったのでここで終わります。